ドラッカーといえば「マネジメント」というものを言い出した人と認識されていることが多い。
今から10年ほど前に「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本が話題になったことで、ドッラカーという人が若い世代でも知る存在になった。
「マネドラ」と略され、ビジネス書として読まれていた本が身近に感じられるようにプロデュースされた。
このあたりはさすが日本人だと思う。
権威あるもの、すばらしすぎて遠い存在ですら、庶民が咀嚼できるように表現できるスキルが日本にはある。
日本人は学習することが好きな国民なのかもしれない。
小難しいことでも、おもしろく組み替えて楽しめる才能がある。
江戸末期から明治にかけて日本に来た外国人たちが、すでに庶民でも字が読める、、識字率が高いことにびっくりしていたらしいが、その得意芸はドラッカーをも咀嚼してしまう。
そして、ドラッカーの考えが、マネドラによって、女子高校生が野球部マネージャーとしての仕事に応用される。
すばらしい。前田敦子主演の映画も作られている。
歯科医師として、雇われ院長をすることになって、すでにドラッカーは読んでいたのだが、ビジネス書として広く読まれていたので、医療に適用するには、自分なりの解釈が必要だった。
もちろん、ドラッカーは病院のコンサルタントとしても活躍していたので、ドラッカー作品の中には、たびたび病院でコンサルティングした実例も出てくる。
しかし多くは会社経営者などの話だ。
歯科医師として、歯科医療をするさいに、ドラッカーをどのように解釈するか。
私は歯科医療する際に以下をドラッカー的に心掛けている。
- 歯科学という知識を患者に適用し、その結果に責任をもつ
あたりまえだけど。
ただ、テクニックに偏重しないように気を付けている。
専門家としての役割は、歯科の知識を預かっているに過ぎない。歯科の知識を使って、歯を削るとかインプラントを埋め込むとかいうことよりも、目の前の患者さんが、日常どのようなことを気を付け、心掛け、実践していけばいいのか、その方の習慣を変えることである。
もちろん、テクニックも重要だが、それは出来て当たり前であり、出来なければ、出来る歯科医師に適切に患者さんを紹介することである。
一昔前、今でも勘違いしてしまう医療人も居るかもしれないが、医療人だからと言って「命を握っている」と過信し上からモノ言う態度が横行していた。
いま、歯科医師は患者さんが人生を生きていく上での歯科に関してのコーチ役になるべきである。
歯科の診療所は人生という恐ろしく長いマラソンのなかで、途中立ち寄る、給水所、休憩所に似ている。疲れて、壊れかけた口の状態を、また走ることを可能にして送り出す。
次の地点までの走り方の注意点をアドバイスをする。命令ではない。指導でもない。
あくまで助言であり、歯科医師は専門知識、経験から得た知見を、目の前の患者さんにカスタマイズして分かりやすく伝え、どのようにすれば、快適に口を使えるのか?解決できなく、受け入れる必要がある問題があれば、誠実にそれを伝え、どの程度心配すべきものなのか、診療所としての給水所に立ち寄るタイミングはどの程度の痛みが出たときかなど、具体的な行動を伝えなければならない。
どう走りたいかは、走者が決める。患者さんが決める。患者さんは私たちに助言を求める。それを実践するかどうかは患者さんが走りながら決める。
このことをドラッカーは教えてくれた。
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